町内の戦時遺構等の紹介

更新日 平成29年3月1日

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米軍横田基地石畑射撃場(現 瑞穂中学校、都立瑞穂農芸高等学校)

現在、瑞穂町石畑地区狭山谷地内は、住宅及び公共施設が立ち並ぶ地域となっています。
しかし、ここは、第二次世界大戦中の昭和18年頃は旧日本陸軍射撃場でした。その射撃場が、戦後昭和20年に米軍横田基地附属の射撃場として接収され、昭和30年代初めまで使用されていました。その後に閉鎖、跡地には瑞穂中学校や都立瑞穂農芸高校が建設され、現在に至ります。

当時の写真当時の写真

当時の写真当時の写真

旧日本陸軍多摩飛行場(現 米軍横田基地)

現在の横田基地は、福生市、瑞穂町、武蔵村山市、羽村市、立川市、昭島市(提供面積順)の5市1町にまたがる米空軍基地であり、在日米軍司令部と第5空軍司令部が所在する極東における米軍の主要基地となっています。
旧日本陸軍は、当町から福生市につながる武蔵野台地の広大な土地を買収し、1940年(昭和15年)に旧陸軍立川飛行場の附属施設として、「陸軍多摩飛行場」及び航空整備学校を開設しました。
1942年(昭和17年)には、陸軍航空審査部が置かれ、陸軍の新鋭機や試作機のテスト飛行が行われていましたが、終戦とともに米軍(第一騎兵師団1 個中隊)が進駐し接収しました。
1955年(昭和30年)には、接収地のほかに基地拡張計画がなされ、滑走路はますます瑞穂町に延びました。翌年から1965年(昭和40年)にかけて、滑走路の北端より国道16号(現都道166号線)の間を買収し、3,350メートルの滑走路を有する大規模基地となりました。

横田基地拡張概略図
横田基地拡張概略図(瑞穂町史より)

学童疎開受入れ

戦時下の政府が学童の集団疎開を決定したのは、1944年(昭和19年)6月です。
瑞穂町には、その年の8月4日に品川区城南第二国民学校の5・6年生の児童や教職員が疎開しました。瑞穂第一国民学校(現 瑞穂第一小学校)で歓迎会が開かれ、学校で作ったじゃがいもをゆでて、児童に振る舞いました。
当時の瑞穂町の事務報告書によると福正寺、円福寺、東善院等の寺院に分かれ、合計258人が瑞穂町で暮らしたことが記録されています。

写真
疎開した児童が瑞穂第一国民学校で
じゃがいもを御馳走になる様子

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