岩国市

更新日 令和2年1月24日

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調査概要

1 基地周辺施設整備事業(愛宕山跡地の施設整備)の視察
今回の視察では、初日に愛宕山跡地に整備された「愛宕スポーツコンプレックス」を現地視察した。約2時間、福田市長にご案内いただき、愛宕山跡地利用について、これまでの経緯から整備用地全域の施設説明まで、詳しいお話を伺った。

岩国基地は錦川河口の三角州にあり、海に面しているものの、旧滑走路延長上には石油化学、化学繊維、製紙などの大工場群が林立する工場地帯が存在し、住宅地にも近いため、航空機の墜落や搭載物の落下の危険があり、航空機の離発着やタッチアンドゴーの訓練等から発する騒音は深刻な問題となっていた。

また、航空機が滑走路北側から離発着する場合、工場群上空の通過を避けるため東海上に向かって急激な旋回を余儀なくされ、そのために生ずる騒音は極めて大きく、また、この急旋回はパイロットに過重な飛行を強いることになり、さらに墜落事故の危険性は増大した。

このような理由から、岩国市では基地の沖合移設を30年間にわたって国に要望してきた。その後、平成4年に移設事業が決定し、平成8年に工事がスタートした。

15年にも及ぶ工事の末、平成22年5月に沖合1kmへの移設が完了した。その時、埋め立てに使われたのが愛宕山を掘削して出た土砂であった。愛宕山から海岸までベルトコンベアーで土が運ばれ埋め立て工事が行われた。

この移設事業に伴ってスタートしたのが「愛宕山地域開発事業」である。この事業は、「愛宕山を掘削し、岩国基地滑走路沖合移設事業へ埋め立て用土砂を搬出すること」と「土砂掘削後の跡地を大規模な住宅団地に造成すること」2つの大きな目的をもって、山口県と岩国市の要請に基づき、山口県住宅供給公社が事業主体となり平成9年に着工された。埋め立て用土砂の搬出については、平成19年3月に約1,955万立方メートルの土砂搬出が全量終了し、目的を達成した。しかしながら、もう一つの目的である「大規模住宅用地の造成」については社会経済情勢の変化に伴い、当初見込んでいたほどの住宅需要が見込めないことから、平成19年6月に大規模住宅団地の造成事業は行わないことが決定された。

事業中止後に残る広大な跡地約60haの転用については、県と市の協議を経て県住宅供給公社の収支不足解消のため、約4分の3を売却するため国に買い取りを求め、約4分の1は国立病院機構岩国医療センターの移転を核としたまちづくりを、県・市共同事業で進めていくことになった。

岩国市は平成19年より国による買い取りを求めていたが、そのことで岩国基地が普天間基地の県外移設先候補の一つの判断材料に繋がることが懸念されたため、平成21年12月には買い取り要望を封印した。

一方、国においては、平成22年度予算案に米軍再編関係経費として、愛宕山開発用地の買い取り経費を計上し、岩国市に対し「米軍家族住宅を含む愛宕山開発用地の配置案」を提示。県、市で協議した結果、国が米軍再編に対する県、市の基本スタンスを守ることを前提に売却を決定。平成24年3月、国に米軍再編関連施設用地として売却した。

残る約4分の1については、岩国市が進める「周辺環境対策に配慮したまちづくり」の実現を図るため、幹線道路、防災センター、多目的広場の整備、岩国医療センター、特別養護老人ホームの移転等、岩国市が決定した土地利用計画に沿って、平成24年3月までに岩国市が用地取得した。国が米軍再編に関連した施設用地として取得した用地には、米軍家族住宅とスポーツ複合施設が建設された。

家族住宅については、「できる限り岩国飛行場内に整備する」との基本的考え方に沿って、1,060戸程度のうち4分の1(270戸程度)のみ愛宕山用地に整備され、残り4分の3(790戸程度)は岩国飛行場内に建設された。

平成29年11月に完成した「愛宕スポーツコンプレックス」は、国が岩国基地への空母艦載機部隊の移転に伴う施設整備として建設した総合運動場で、絆スタジアムと命名された8,000人が観戦できる野球場をはじめ、ソフトボール場(2面)、400mトラックなど4種公認の陸上競技場、テニスコート(ハードコート4面)、サンドバレーボールコート(2面)、屋外バスケットボールコート(2面)のほか、カルチャーセンターやピクニックパビリオンがあり、大変充実した施設となっている。

国が総工費60億円をかけ建設されたこの施設は、米軍と岩国市が共同使用できる施設で、岩国市民も自由に使うことができる。現在、利用状況は岩国市民が9割、米軍家族が1割となっている。維持管理費は2億円ほどかかり岩国市と米軍が約1億円ずつ負担する。

市は、施設利用料と国からの交付金を充て、一般財源の支出はゼロを目指している。

2 米軍および自衛隊、民間との共用の実態について
岩国基地は、米海兵隊岩国航空基地と海上自衛隊が共同使用しており、平成24年には岩国錦帯橋空港が開港し、民間航空会社による定期便も就航している。

岩国基地の民間空港の歴史は、米軍基地となった昭和27年から始まった。昭和27年5月民間空港として開港。日本航空の東京―福岡線の中継地となった。昭和29年には国際線も運行されたが、昭和39年12月、旧広島西飛行場の供用開始に伴い民間空港路線が変更され、岩国から定期路線がなくなった。

それから24年が経過した昭和63年4月、民間空港再開に向けて岩国商工会議所青年部に「有志の会」が発足した。平成元年11月には山口県知事が県議会において「県内に空港が2つあってもおかしくない」と発言。平成2年12月には岩国市議会が「民間空港設置に関する意見書」を決議し、岩国地域への民間空港設置を政府、県知事等へ要望した。

商工会議所青年部も署名活動を開始した。平成4年には、日本初の米軍基地を使った民間機によるハワイへのチャーターフライトを実施。その後、平成8年に第2回、平成11年に第3回ハワイチャーターフライトを実施し、平成12年には「岩国基地民間空港早期再開期成同盟会」が設立された。

平成15年には、日米合同委員会にて、岩国基地の軍民共用化について施設調整部会で協議されることが決定し、同月、第1回施設調整部会が開催された。

平成17年には、日米両政府が岩国基地の民間空港再開に合意。1日4往復の民間航空機の運航が認められた。

平成18年5月には、在日米軍再編のための日米のロードマップに「将来の民間航空施設の一部が岩国飛行場に設けられる」と示された。

平成19年には第4回ハワイチャーターフライトを実施。平成21年2月には政府の方針が示された。その内容は「空港の整備については国土交通省が主体、これに必要な米側との調整は防衛省が主体」「再開の時期は、平成24年度を目標としている地元の要望にできる限り配慮」というものであった。その年の12月には、平成22年度の国の予算案が閣議決定され、岩国空港全体事業費46億円が計上された。

平成22年2月に全日空が就航を正式表明。4月には国土交通省が民間航空整備事業に着手。12月には、空港の愛称が「岩国錦帯橋空港」に決定。平成24年10月29日岩国錦帯橋空港ターミナルビルが完成し、12月3日晴れて開港の日を迎えた。

1年後の平成25年12月には利用者35万人を達成し、平成27年9月には利用者100万人達成セレモニーが開催された。平成28年には、岩国―那覇線が新規就航、岩国―羽田線も1日5往復と増便された。平成29年には利用者200万人を達成し、今年9月現在292万人と順調に増え続けているとのことであった。

岩国市では、民間空港開港を契機に、さらなる企業誘致の促進および雇用の創出を図るため平成23年4月に条例を改正した。開港後、新たな企業が23社進出した。
岩国基地の民間空港開港により、岩国市では既存企業の施設増設、新規企業の進出、観光客の増など、様々な効果があったとのことである。

デメリットはとの問いに、少し考えて「デメリットは特にない!」との答えが返ってきた。

所見

今回、基地対策特別委員会としては、平成24年10月に引き続き2度目の岩国基地視察を行った。前回の視察から7年が経過したが、岩国基地は大きな変貌を遂げていた。1つは岩国錦帯橋空港の開港である。平成24年に行った時には、その年の12月開港を間近にした街中や市役所に歓迎の横断幕が掲げられ、民間空港の開港を待ち望む住民の期待が伝わってきた。

今回は、その空港が開港し、順調に路線増や増便が図られ利用者200万人を達成していた。もう1つは、愛宕山用地整備が完了し、愛宕スポーツコンプレックスという素晴らしい複合施設が完成していたことである。その内容は視察概要で述べたが、観客8,000人を擁する絆スタジアムと名付けられた野球場は圧巻であった。

岩国錦帯橋空港が開港に至るまでには、旧広島西飛行場の供用開始に伴い定期路線がなくなったところまでさかのぼる。長年にわたる住民、議会、市長の強い思いと粘り強い行動によって実現したことがよくわかった。

現福田市長が就任したのは平成20年2月のことである。米海兵隊岩国基地への空母艦載機移駐のぜひが最大の焦点となった市長選で、移駐容認派の新人福田氏が前職の市長を破って初当選した。市長選は前年12月に移駐反対派の市長が議会と対立し、「民意を問う」として任期途中で辞職したことに伴うものであった。

福田氏は、企業誘致や民間空港の早期再開を強調し、生活に密着した政策を掲げ、借金1,065億円の財政悪化の立て直しを目指し初当選を果たした。

現市長は、米軍基地が所在する自治体として、住民が安全に安心して暮らせる環境が確保されるよう米軍に求めることを基本としながら、米軍再編については、「米軍基地の4分の3が集中している沖縄や、市街地に囲まれた厚木基地の負担を各地で平準化していく必要があると感じた」と述べている。

福田市長就任後、空母艦載機の移駐に伴い、民間空港の開港、愛宕山用地整備は順調に進んでいった。福田市長の考え方は、岩国市と米軍基地が共存し、様々な施策を進める上では、米軍と岩国市民の双方にとって、ウィンウィンの結果を残したいということである。

スポーツ複合施設の整備をするにあたっても、米軍族の福利厚生施設の設置ということを前提にしながらも、アメリカ市民だけでなく岩国市民も利用が可能であり、かつ、両方に喜ばれるものを作りたいとのスタンスであった。その実現のため研究・調査を重ね、それを兼ね備えた施設案を作成し、国に提示していった。国も具体的に示された計画案を認めたことで、素晴らしい複合型スポーツ施設「愛宕スポーツコンプレックス」の完成へと繋がった。

このように、民間空港の開港、愛宕山跡地の用地整備が順調に進んだ背景には、市長の強力なリーダーシップとそれをしっかり後押しする市議会の存在が大きいと実感した。

横田基地と岩国基地の違いとして顕著なことは、周辺5市1町に囲まれている横田基地に対して、岩国基地が岩国市1市に所在していることである。国・県・岩国市で密接な関係をもち、市が目指す方向性を直接伝え、防衛に関する施策や予算などの様々な事柄や市民からの騒音等の苦情に対して国や米軍などと直接交渉ができる。

一方、我が瑞穂町は、基地が所在する5市1町で基本的な部分は足並みを揃える必要があるため、北関東防衛局という窓口を通すことになる。市長の話を聞きながら、そこが最も大きな違いであると感じた。

また、岩国基地は海上に面した三角州にあり、さらに滑走路は沖合1km先に移設された。周りがすべて住宅地という横田基地とは立地条件も違う。ただ、岩国基地に配備されている艦載機をはじめ戦闘機の爆音は横田の輸送機の騒音の比ではない。したがって1年間に寄せられる苦情は多い年で6,000件を超えていた。

錦帯橋空港が開港したことによるメリット・デメリットを聞いたところ、メリットはあるがデメリットはないという答えが返ってきた。岩国基地では民間機の騒音は問題にならないのであろう。

横田基地を擁する瑞穂町と岩国基地がある岩国市では、様々な環境や基地の状況には大きな違いがあった。しかし、現在の極東および世界情勢を考えたときに、今すぐ基地をなくすことは現実的ではない。そのような中で、町として町民の安全安心を確保し、基地による様々な被害の軽減を求めることに今後も力を入れていくことは当然であるが、米軍基地が存在する町として「お互いウィンウィンの関係」を目指すという岩国市の考え方は大いに参考になった。

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